広島を代表する歓楽街「流川」の朝昼晩を観察する
広島に流川という歓楽街がある。隣接する薬研堀や新天地、胡町と一体となり、広大な商業圏を形成している。居酒屋やバー、クラブなどがあり、夜の街という印象が強い。
そんな街の朝と昼と夜では、それぞれどんな顔を見せるのだろうか。街の顔。流川の歴史を見つつ、それぞれの時間の流川を見てみようと思う。
流川の朝
広島市中区にある流川。東京のではない八丁堀駅から歩いて行ける距離に位置する。アクセスの良さは間違いない。昭和59年に出版された「広島市商連35年史(上巻)」に流川銀座商店街についての記事がある。
その記事によれば、近くの商店街の歩行者通行量のピークは平日が18-19時、休日が14-15時に対して、流川は平日が18-20時、休日が16-18時とピーク時間が1時間から3時間遅いとある。これが何を意味するかといえば、歓楽街である、ということだ。
今回の流川は町名的な流川だけではなく、その一体を流川と呼称し、朝昼晩を見たいと思う。まずは朝の流川。特別人がいないという感じでもない。通勤のためだろう、車が走り、自転車に乗った人たちも通る。
人が全くいないわけでもなく、交通量が特別少ないわけではないけれど、活気のようなものは感じられない。お店は全て閉まっていると言っても問題ないだろう。今は朝だから、歓楽街ではなくても閉まっている時間。流川通りの入り口にある三越だってまだ閉まっている。朝はどこもこうなのだ。
猫がいた。手を合わせるとこの猫に手を合わせている感じがする。この猫は朝はここと決めているのかもしれない。気持ちよさそうに眠り、たまに目を覚ましては歓楽街を眺めていた。
新天地公園のある新天地は、戦前は毎日が祭りのような賑やかさだったという。当時の新天地には日進館、泰平館、新天座などの劇場や映画館が軒を連ね、夏になれば夕涼み兼ねた多くの人がアセチレンガスの匂いを求めて集まった。
戦後はお好み焼きの屋台が群がり、バラックの店舗が次々とオープンした。今はネオンの花咲く夜型の街になっている。先の「広島市商連35年史(上巻)」には、夜と昼では、同じ道を通っても違う街のような錯覚さえ感じるとある。やはり流川は、朝昼晩で違うのだ。
昼の流川
1619年の広島城下町絵図には「流川」という町名は記されていない。しかし、1781年-1789年までの天明年間の同じ絵図には「流川町」と記されている。この150年間の間に名付けられたようだ。
流川という名前は、泉水屋敷(縮景園)の水はけのために開削された水道が通りの東側を流れたことに由来する。江戸時代のこの辺りは武家屋敷が建ち並ぶ場所だった。今ではその頃の様子は伺えない。
朝と比べると、より活気がなくなった気がする。朝は搬入や搬出と思われる車が並んでいたけれど、昼間はそれもなく、通勤のためと思われる車も無くなっている。普通の街では昼間はランチで賑わうこともあるが、それもない。開いているお店が圧倒的に少ない。
流川通りにぶつかるアーケード街は町名で言えば「胡町」ということになる。アーケード内には「胡子神社」がある。そもそも「エビスさん」は漁民が信仰するものだったけれど、やがて商業の神として祀られるようになった。ここでは昔から「おえべっさん」の名で親しまれてきた。
「広島市商連35年史(上巻)」にも胡町商店街の紹介がある。いろいろな商店街が載っており、それぞれの商店街の特徴的なものを記しているが、胡町商店街は、「胡子神社」についての記述が多い。それほどに大切な存在なのだろう。
瀬戸内海に面する地域では「えびす」という漢字を使った苗字が多い。戎、胡、恵比須など、いろいろな漢字が使われている。特に多いのが「戎(戎崎、戎谷など)」と「胡(胡子、胡本など)」だ。
広島を除く多くの地域では「戎」を使った苗字が多い。大阪や神戸では圧倒的で大分などもそうだ。広島だけが「胡」が多い。岩国と今治でも「胡」が多いのだけれど、これは広島との往来を物語る。広島の場合は町名として「胡」を使うほどなので、胡の国なのだ。
夜の流川
いよいよ時刻は夜となった。日が暮れて、看板などに光が灯り、夜の暗がりを照らし出す。街に活気というものを感じる。それは春の動物園のような活気だ。車も増え、歩いている人も増える。光がとにかく綺麗だ。
朝や昼からは想像できない活気なのだ。先にもあったように別の街のように感じる。同じ場所とは思えない。消えていた看板の多くに光が入り、夜の街であることを示してくれている。夜なのに明るいのだ。夜を感じさせない。
流川にくれば、食べられないものはないのではないだろうか。瀬戸内海の幸を出すお店、広島の肉を出すお店、イタリアンも、ラーメンも、スイーツも全てがある。それらが数えられないほど軒を連ね、光を放つ。
治安のことが心配になるけれど、カメラを出して歩いていても、特に何も起こらなかった。これを書いている私は、住んでいる家の近くでカメラを持って歩いているだけで、警察に通報されたことがあるので、流川の方が自由かもしれない。
つまり夜の流川は歩いているだけでも楽しいということだ。日中を知っていると、その差がわかりより楽しい。ハードボイルド小説の主人公になった気もしてくる。ちょっとバーにでも行って、ギムレットでも飲もうかしら。お酒に弱いけど。
流川を見る
流川という歓楽街の朝昼晩を見た。朝と昼は明らかに人が少なく、夜になると、朝と昼の静寂が嘘のように活気付く。ここまでわかりやすい街は、全国的に見ても、今はもう少ないのではないだろうか。歴史を見ても面白く、流川の由来になった縮景園は今もあるので、見るのもいいだろう。歴史を知って歩く街は楽しいから。
参考文献
「広島市商連35年史(上巻)」広島市商店街連合会 1984
「瀬戸内海事典」北川建次 関太郎 高橋衞 印南敏秀 佐竹昭 町博光 三浦正幸 南々社 2007